彼は直帰しました

どうしても編集者になりたかったので印刷会社から広告営業経由ですべりこんだ私のブログ

本のタイトルについての考察 2

 本のタイトルって著者がすご〜くこだわって決めるイメージがあるとおもう。

 確かにそのような著者もいることはいる。でも小説などはともかく、新書や専門書、しかも二冊も三冊もすでに刊行している著者ともなれば、多くは編集者にお任せなのが現実だ。あまりに想いを込めて書き上げた著者より、書店市場と向き合う、ある意味でサラリーマンである編集者に決めてもらった方が「売れる」可能性が高い、ということもあるだろう。実際、新書や専門書系の単行本担当である自分の場合、いままでに手がけた本の8割がたは自分、つまり編集者が決めてきた。

 ここで考えて欲しい。書店の目立つところ(レジ近くや面陳)に居並ぶいまどきの本というのは、欲しているジャンルや内容さえずれていなければ、基本的にどれを手に取っても、読んでそれなりに楽しめるものが多くなったと思わないだろうか。

 その一因はマーケティング(とはとても言えないレベルだが)能力が出版業にかなり要求されるようになり、いまどういった著者にお願いするべきなのか、どのような本を出せば売れるのか、ということが、あるレベルで均質化してきているからだとおもう。さらに悪く言えば、さほど本に読みなれていないような人であっても、ひっかかりなく読み進められる本を作ることこそが、編集者や著者にとって、命題のひとつにされているからだ。

 以前、とある書評番組のディレクターとお会いした際に、どう本を選定しているか、の基準として「偏差値50以下の学校を出たような、女性が惹きつけられる内容であるか」*注:私が言ったのではありませんからね と言っていた。

 何を持って偏差値なのかはわからないけど言わんとすることはわからなくはないよね。そして実際、そういった本でなければ、マーケットからは見向きもされない。定価によってもちろん変わるだろうけど、本来、刊行部数が1万部いかないような本は、利益どうのこうのと、全國の書店のすべてに置かれるか、という点で一般的な製造業の商品から見たら、まったくその基準には達していないはずだ。

 そのような本を数年かけて刊行する編集者は絶滅危惧種なれどまだ、どこの会社にもいる。出しても人件費にすら達しない上に、多くは返本でマイナスを出すことになるので、普通の会社なら肩をたたかれるどころか、たたき壊されても不思議ではないだろう。私から見れば憎らしい、というより羨ましくもあるが、彼らが絶滅する瞬間こそ、出版が真の意味で変革するときになるのかもしれない。

 と酔っ払った頭でなんとかここまで書いてきて、今回はタイトル付けの要諦を考える、という趣で書き始めたのに気付いたのだけど……その話題はまた次回。